豊かな漁業資源で知られる能登半島の漁業がいま、地震の影響で岐路に立たされている。漁師たちは再び漁に出られる日を心待ちにしているが、若い世代が復興後の漁業を担ってくれるのか、不安はつきない。
「今日は少しだけ潮が満ちてきたな」
石川県輪島市の輪島港。漁師の冨島勉さん(55)は、港で少しだけ揺れる底引き網漁船「舷洋丸」を見ながらつぶやいた。
隆起した海底に乗った船
港には約200隻が並ぶ。不自然に傾いている船もあれば、船体が傷だらけになっているものもある。
能登半島地震で海底が隆起し、港の水深が足りなくなった。その影響で漁師たちは、漁に出られない日々が続いている。
「おらの船もぼろぼろだ。船底も(海底に)当たってるし、穴が開いてないといいんだけど」
地震後、舷洋丸は綱が切れて港の反対側まで流れ着いていた。船体は隆起した海底に乗った状態で、傾いていた。
数日後に潮が満ち、仲間の漁師に引っ張ってもらって岸壁につけることができた。以来、朝と夜に船の様子を見るために港に足を運ぶのが日課になった。
輪島港は水揚げが県内随一の港だ。底引き網漁と刺し網漁が中心で、冬場はタラやブリ、ズワイガニなどが水揚げされる。3月中旬ごろまではカニの最盛期で、年間で最も稼げる時期だ。
でも、いつ船を出せるかわからない。夕日が照らす港を見つめながら、冨島さんが言う。
「どうしようもできん。また漁できる日を待つしかない」
宝の海――。70代のベテラン漁師がこう表現する能登の豊かな海が元日、津波となって牙をむいた。
「船を守らないと」無我夢中で沖へ
1度目の揺れで、漁師の米谷崇さん(43)はとっさに輪島港に停泊している漁船のもとへと走った。ここ数年の群発地震で、「揺れたら船のもとへ行く」という習慣がついていた。
「たいしたことない、大丈夫だ」。安心して自宅に戻ろうとしたら、今度は突き上げるような激しい揺れに襲われた。港のコンクリートブロックが浮き上がった。
脳裏をよぎったのは、東日本大震災の津波で多くの漁船が海へ流されていた映像だった。
「船を守らないと」
無我夢中で船に乗り込んだ。だが、船を前へ進めようとしても進まない。港では海水が泥を巻き込んで渦巻いていた。
津波だ。とにかく沖へ、沖へ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル